東海エリアに児童福祉施設や就労支援施設を展開する一般社団法人One Life(以下、「One Life」)。「一人ひとりの人生と丁寧に向き合いたい」という思いが、その名前には込められている。そんなOne Lifeの代表理事・鈴木裕二と、統括マネージャーの斉藤啓司が今取り組んでいるのは、「日本で暮らす、外国にルーツのあるご家庭が安心して子どもを育てられるための地域のハブ施設」の立ち上げだ。今後労働人口の減少が避けられない日本では、日本に住む海外出身者との関わり方は、日本社会のあり方に関わる重要なテーマ。そこで、全国でも革新的な施設の運営を通して独自のアプローチに挑む二人のイノベーターから、事業にかける思いを聞いた。
「正直『この人たちのどこが障がいなんだろう』と」
鈴木「子どもの頃からなんとなく、経営者になりたいと思っていました。なんだろうな、”尊敬される大人になりたい”という思いがあって、それがなんとなく経営者と繋がったんだと思います。単純に、カッコ良さそうだからとか、そんな理由だったと思う。」
少しはにかみながらそう語るのは、One Lifeの代表理事・鈴木裕二だ。幼い頃は、人一倍の目立ちたがりだが、それは寂しさや構ってほしさの裏返しだったのかもしれない。仲間外れにされたりするとカッとなって友達に食ってかかってしまうような、気性の荒さもあったという。そんな鈴木は、高校3年の時に、オーストラリアへの留学を経験した。
鈴木「新しい文化に触れ、世界が広がった経験でした。国が違うと考え方が違う。一方で、やはり人間だから同じことを大切にする部分もある。たとえば、家族が大切なのは、相手がどこの国出身だからって変わることはない。もっと世界のことを知りたいなと思い、大学では国際関係に関する学部に進学しました。」
経営者への夢と、広い国際社会に何らかの形で関わりたいという思いを抱いていた大学時代、ある人生の転機が訪れる。大きな怪我に見舞われ、半年以上歩けない生活を経験した。
鈴木「月並みな話だけど、”当たり前な日々は、当たり前じゃない”ということに気付かされました。それまでまともに授業に出ていなかったんですけど、自分の中で何かスイッチが入ったというか。授業に出るようになっただけじゃなくて、大学のNPOセンターで活動するようになりました。」
そのNPOセンターは東アジアの各国から子ども達を招き、交流する事業を行っていた。その活動の一環として東アジア各国の子ども達を招き国際交流をする企画では、大きな資金が必要なため当時開催されていた愛・地球博(2005年愛知万博)へ学生派遣をして資金調達に奔走し、多くの時間を費やした。
鈴木「大学4年でそんなことをしていたものだから、就活なんてまるで出来なかったんです。どうしようかなと思った時に、NPOの活動を見ながら『お金に関する知識って大切だよな』と思い、会計事務所に就職しました。」
会計事務所でお金に関する知識を身につけ、その後イベント会社で様々なイベントの企画・運営の業務を経験したのち、義父が代表を務める製造業の会社に入り、営業・事務・総務・経理・人事など様々な仕事を経験するも、代表との方針の違いから同社を退職。NPOセンター時代の先輩から誘われ、イタリアの名門サッカーチーム「ACミラン」の日本スクールの立ち上げに加わる。
鈴木「そのスクールの運営母体の一つは福祉事業もやっている一般財団法人で、そこで初めて障がい者の福祉施設というものを知りました。そこで、発達障がいと言われる人たちと初めて接したんですけど、正直『この人たちのどこが障がいなんだろう』と思いました。この人たちが障がい者なら、小さい頃にちょっとしたことでキレていた自分の方がよっぽど障がい者なんじゃないかとすら思って。」
折りしも30歳を迎えていた鈴木。経営者になるという夢と、初めて触れた障がい者福祉の世界。そこで沸々と湧き上がってきたのが、「障がい者福祉領域で起業したい」という思いだった。
「自分の思いの詰まった保育園を作りたかった。」
斉藤「子どもって、誰だってイタズラするでしょ?なのに、その時の保育園の担任の先生から、中学校になっても『お前のあの時のイタズラは・・・』って、自分がやったいらずらの話をされるんですよ。どれだけ記憶に残るイタズラをしてたんだって話ですよ(笑)でもね、確かにやりすぎなイタズラも多くあった・・・」
申し訳なさそうに笑いながら話す斉藤から聞かされたのは、さすがに文字に起こしがたい衝撃的なイタズラの数々であった。幼い頃から両親は共働きで、祖父母の世話になることが多く、心の中に一抹の寂しさを常に抱えていた斉藤。人に構ってほしい思いを野球で紛らわせながら過ごした幼少期だが、海外との接点は幼い頃からあったという。
斉藤「母が英語の先生をやっていたので、ALTの先生がたまに家にきていたんですよね。あと、小学6年生のときに、オーストラリアに短期留学に行ける機会があって。」
イタズラ好きで、小学校からは野球に熱中していて、海外にも関心のあった斉藤少年だが、自分の将来のイメージは意外なところから生まれていた。
斉藤「なぜか、保育園時代の先生との縁がずっと続いていて、中学生の時から保育園にボランティアに行っていました。先生もよくしてくださるし、子ども達と過ごすのも楽しいし、『自分は将来保育士になるんだろうな』と、この頃からなんとなく思っていました。」
そんな思いを胸に、大学では保育課に進学。しかし大学の4年間を通して徐々に明確になってきたのは「自分は保育士になりたいのではなく、自分の理想の保育園を作りたいのではないか」ということだった。
斉藤「そこで、『将来は保育園事業をやる』といっていた派遣会社に就職しました。入社して最初は現場に派遣されるんですね。障がい者サービス施設に派遣されて1年半ほど働くと、そこに愛着が沸いてしまって、派遣会社をやめてその施設に転職して、7年近くお世話になりました。」
斉藤がその施設で働く中で、地域の福祉事業者の会合で二人は出会ったのだった。
「一緒に施設を建て直してくれないか?」
意気投合した二人は、斉藤曰く「鈴木が困ったら、なぜか会社が違う僕に相談が来る、都合のいい関係(笑)」となった。2014年、愛知県名古屋市にスポーツに特化した放課後等デイサービスを立ち上げ、事業拡大をしていた鈴木。放課後等デイサービスとは、様々な障がいを持った子どもたちが学校が終わってから通い、発達の支援をしたり、保護者が迎えに来るまでの居場所となる施設だ。
鈴木「当時は今よりも障がい児童に対しての社会的な理解って全然進んでいなかったんです。そんな時に、日本に来たブラジル国籍の方々の中で自閉症のお子さんを持っている親御さんのグループの会合などに参加していて、この人たちには日本の児童福祉サービスの情報が全然行き届いていないことを知りました。」
そこで鈴木は2017年、三河エリアには外国にルーツを持つ家庭と子どもたちが多いことから、彼らの支援を重視した児童発達支援・放課後等デイサービス施設を愛知県岡崎市に立ち上げた。言葉の壁を超えて支援をするために、外国語のできるスタッフを集めるなど、当時は斬新なアプローチだったという。しかし、新しい挑戦には困難がつきもの。
鈴木「外国にルーツのあるご家庭の子どもたちを積極的に受け入れるというのは、ノウハウがあってやっていることではないので、スタッフへの負担もかなりありました。立ち上げメンバーの中から離脱者が出はじめて、『このままでは施設運営が難しい』というところまで追い込まれつつありました。」
そんな時に、斉藤から鈴木に連絡があった。子どもが保育園に入るのを機に、独立しようというのだ。鈴木は斉藤に、「岡崎の施設を見学してみない?」と誘う。言葉のままに岡崎の施設にやってきた斉藤に、鈴木は持ちかける。「一緒に施設を建て直してくれないか?」と。
斉藤がメンバーに加わった岡崎の施設は、息を吹き返し、同じく三河地域の西尾市などにも拠点を拡大。組織が安定し、さらには就労支援など新しい事業領域にも進出するなど、One Lifeの基盤が整っていった。
「地域と外国出身者のご家庭・子ども達のハブになりたい」
2014年に設立し、その後毎年1施設ごと拠点を増やし、9年で9拠点体制にまでなったOne Life。10年目の節目となる2024年に計画しているのは、全国でも初めてと思われる、民間が運営する外国籍家庭の児童向けの発達支援センター『国際こども発達支援センター』の運営開始だ。
斉藤「各地域には、障がいを持った地域の子どもたちの成長発達を支援するための中核施設として、『児童発達支援センター』というのがあります。運営元は大体、社会福祉法人や医療法人であることが多いです。ただ、そういった運営母体は、外国籍家庭の子どもたちの困りごとを支援するスキルやノウハウをあまりもっていない」
実は、近年のグローバル化の影響で、日本で教育を受ける外国ルーツの子どもの人口は年々増えている。そんな中、そうした子どもたちの特別支援学級・特別支援学校への在籍率が、一般的な日本人の子ども達よりも2倍近く高いという事実が注目されている。
そうした子ども達は、「ルーツ」と「発達障がい」という二つのマイノリティに属する「ダブルマイノリティ」と呼ばれることもある。ある一つのマイノリティであるというだけで生きにくさを感じやすいのだから、彼らが大きな負担や悩みを抱えているであろうことは想像に難くない。
しかし、多くの児童福祉施設には、外国にルーツを持つ子どもたちの支援に精通しておらず、また外国語や文化を理解できる人材が十分揃っているわけでもない。つまり、外国にルーツを持つご家庭が安心して相談できる環境を、この国や地域社会はまだまだ整えられていないのだ。
鈴木「これから日本がどんどん少子化が進む中で、外国にルーツを持つご家庭や子どもたちが日本で苦労なく暮らせる環境を作ることはすごく大切だと思うんです。子どもはいずれ、成長して大人になり、この国や地域の一員になる。その時に、彼らが僕たちに対してどう思うのか。同じ社会の仲間として、一緒に生きていこうという関係になれるのか。教育と同じで、児童福祉はこの先何十年後の未来を作る重要な仕事なんです。」
斉藤「僕たちには、外国籍のご家庭の子どもたちの成長発達を支援してきた実績とノウハウがあります。そこに法人としての基盤が整ってきて、大きなことを仕掛けられる地力がついてきた。今こそOne Lifeにしかできない形で、そうしたご家庭・子どもたちと地域のハブになり、明るい未来につながる良好な関係づくりにチャレンジしてみたいと思っています。」
「日本の多文化共生のシンボルになれたら」
国際こども発達支援センターは、外国にルーツを持つ子どもやその保護者にとって、「どんな悩みでも、ここに相談すればなんとかなる」と思ってもらえる駆け込み寺を目指している。地域の支援拠点や行政、保健所、各種支援団体や、ブラジルやペルー、中国など特定の国からきた方を支援する団体などと連携し、相談者一人ひとりが必要とする支援に繋いでいくのだ。
斉藤「僕が知る限り、こういったスキームの運営を民間が請け負っているのは、全国的に前例がないと思います。発達支援センターの運営と外国籍家庭やその子どもの対応、両方のノウハウがあるという団体は少ないはずです。」
鈴木「土地と建物で、相当の資金が必要になるので、One Lifeとしては絶対に失敗できない、命運をかけたプロジェクトですが、これがうまくいけば、この『国際こども発達支援センター』というプラットフォームは、日本の多文化共生のシンボルになると思っています。この事業が成功するかどうかは、単に”岡崎市にそういう施設ができました”ということではなく、外国ルーツのご家庭や子ども達と地域の新しい関わり方の可能性があると証明することになります。労働人口減少が避けられない日本の将来の一つの試金石として、なんとか成し遂げたいと思います。」
鈴木は普段、温厚で柔らかい表情を浮かべ、陽気に話すことが多い。ただ、ふとした瞬間に、遠くでも近くでもない場所を、射抜くように見つめながら、言葉に重みを乗せて呟くことがある。自分に言い聞かせるように。
海外に関心を抱いた二人の少年は、児童福祉の道で邂逅し、地域社会の中で、海外から日本にやってきた人たちを支えようと奮闘している。
「いつかは”国際”が取れたらいいなと思っている」
最後に、二人に「この事業を成功させるために必要なもの」を聞いたところ、揃って返ってきた答えが「仲間」だった。
鈴木「僕たちの事業は正直ずっと冒険の繰り返しでした。経験もあまりない児童福祉の世界に飛び込んで、求めに応じて施設を増やしてはたくさん苦労や失敗も経験してきた。そんな僕たちが、今回は求められてやるのではなく、僕たちが自分たちで仕掛けて実現させる初めてのプロジェクト。きっと途中で何度も軌道修正しながら、形にしていくと思う。だから、そんな変化も楽しめるような、冒険心のある仲間をもっと増やしたい。」
斉藤「シンプルに、子ども達やそのご家庭をしっかりとサポートしたいという、ブレない思いを持っている人がもっとたくさん仲間になってほしいと思います。目の前の一人をしっかりと支えることが、将来の日本をよくすることにつながる。いつかは国際こども発達支援センターのような形が当たり前になって、頭に”国際”の2文字がなくなる日を夢見ています。」
One Lifeという団体名は、「一人ひとりの人間としっかり向き合いたい」という、鈴木のシンプルな思いが込められた名前だ。しかし、その地道な取り組みがあったからこそ、大きな事業にチャレンジする機会が与えられた。そしてその先には、「国籍の区別なく、全ての子ども達が安心して暮らせる社会」、つまり全ての人のLifeが一つにつながる社会が待っているのかもしれない。
鈴木裕二 1983年生まれ、愛知県出身。
一般社団法人One Life代表理事。
斉藤啓司 1987年生まれ、岐阜県出身。
一般社団法人One Life統括マネージャー。
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