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社会を変える新たな”仮説”を追い求める「狂創」の流儀

株式会社On-Co

代表取締役/共同創業者

水谷岳史・藤田恭兵

「みなさま、狂いましょう」。ホームページのトップにそんな一言を掲げている会社がある。不動産の物件情報ではなく「借りたい人の想い」を紹介することで大家とのマッチングを行う「さかさま不動産」というWEBサービスを運営している会社といえば、ピンとくるかもしれない。それだけではなく、アップサイクルコミュニティ「上回転研究所」や、ステークホルダーとの関係性再定義「パブリックリレーションズ」、実践学習型まちづくりプログラム「Poc up スクール NAGOYA」など、社会性とユニークさを兼ね備えた事業やプロジェクトを多く展開する株式会社On-Co。そのオフィスでもあり、世の中にまだないものに向き合う人の拠点「madanasaso(まだなさそう)」で、二人の創業者、代表取締役・水谷岳史と共同創業者・藤田恭兵に話を聞いた。

「欲しいなら自分で作れ、作らないならさほど欲しくないんだ」

水谷「小学校低学年の時、プレイステーションが欲しかったんです。それを親父に言ったら『そんなに欲しいなら自分で作れ。作らないならさほど欲しくないんだ』って言われたのを今でも強烈に覚えてますね。無理に決まってるじゃんって(笑)でも、悔しいからプレステを一生懸命観察して、なんとなくパカって蓋を開けたところにあるレンズみたいなのが重要なんだろうなって思いました。」

庭師である水谷の父は幼少期は家が貧しく、欲しいものがあっても買ってもらえなかったので、なんでも自分で作ろうとしたそうだ。水谷の家には工具や様々な材料が豊富に転がっており、プレステは無理だが、何かを作ろうと思えば作れる環境に育った。

水谷「他にも父親からは『男は働いて一人前』といわれて、悔しくて、早く働けそうな工業高校に進んだんですが、全然自分に合っていませんでした。電子工学科というところなんですが、電気関係とか全く関心を持てなくて。国語と英語が好きだったんですが、そういう授業はほんとに少なくて、退屈で仕方がなかった。」

そんな水谷は様々なバイトに明け暮れたが、のちの人生に大きな影響を与えたのはラーメン屋のバイトだった。メニュー開発に必要な原価計算をエクセルでやることを店長に提案し、それを任されたのだった。

水谷「雑務をやらされたくなくて、『原価計算をエクセルでやれますよ!』って提案して、バイト中に計算シートを作ってました。スタバでMac開いて仕事してるのって、何となくかっこいいじゃないですか?あんな感じで、高校生なのにバイト中にパソコン仕事してるって、なんかかっこいいでしょ(笑)」

バイトを通じて会社の経営や利益を出すことに触れた水谷だったが、一方で全く違う考え方をする人とのふれあいもあった。高校3年の時に、商店街の活性化などに取り組むNPOのスタッフと知り合ったことだ。

水谷「自分の父は職人で、ちゃんと稼ぎになる仕事ができた時は機嫌が良かった。ラーメン屋のバイトではラーメン1杯や1日の営業でどれだけ利益が残るかを考えました。でもNPOの人は利益ではなくて、地域を良くするために働いていた。働くと一言で言っても、いろんな考え方があるんだなというが、その時の発見ですかね。」

高校自体は退屈だったが、その外で様々な経験を経て、起業など後々に生きる気づきを得た水谷。卒業後は進学時の狙い通り就職するのかと思いきや、まさかの大学進学を選ぶ。

水谷「工業高校の卒業後の就職先って、工場勤務が多かったんですよね。自分には向いてないだろうなと思って、就職を諦めました。他の選択肢が思い付かず大学に進学するんですが、こんなに楽しい生活ばっかりしてたらダメな大人になっちゃいそう…と思って、半年で辞めました。」

大学を中退してからは、高校時代のバイト先のラーメン屋や地域活性化のNPOの事務局に勤めたり、メイド喫茶の立ち上げを手伝ったり、実家に戻って庭師として働いたり、名古屋で飲食店の立ち上げを手伝ったりと、軸が定まらない時期を過ごすことになる。

「小学校の時からApple製品をハックして遊んだり、いじくるのが好きでした」

藤田「父がApple製品が好きで、iPodとか全種類買ってたんじゃないですかね。でも活用するのはあんまり得意じゃなくて、僕にくれるんです。たとえばiPadだと、そのままだと普通のゲームは遊べないんですけど、エミュレーターっていうのを仕込んで普通のゲームを遊べるように改造したり、ハックっぽいことをしていましたね。」

夢中になったら徹底的にやり込んで、時には大人にも遠慮なく勝ってしまうようなタイプ。そして人と違うことを思いつき、形にして遊ぶ天性のハック気質は子供の頃から開花していた。

藤田「中学校は野球部だったんですが、仲のいい友達と朝4時に起きて公園に集合して、オリジナルの練習メニューを考えて練習してました。

ブランコの周りの柵の上を歩いてからブランコの支柱に飛び移り、そこからダッシュして砂場の上で小刻みダッシュをして・・・と言ったコースを何周か走ってから登校する、みたいな。」

今でいうパルクールのようなユニークなトレーニングだったが、残念ながら目立った効果はなかったそうだ(笑)しかし、人と違うことを思いついて、まずは実験的にやってみるという、試行錯誤を純粋に楽しむ側面も、すでにこの頃から備わっていた。

藤田「高校、大学はバスケに熱中していたんですが、二十歳くらいの時にバンクーバーに留学して、そこで現地企業と一緒に事業を起こしている日本人と出会い、衝撃を受けました。なんでそんなことができるのかその人に聞いたら、『自分の使命が見つかったらできるよ』と言われて、真に受けて自分の使命を探したけど、見つからなかったですね(笑)」

とはいえ、使命探しのために参加した様々なイベントや交流会で人脈や見識が広がった。さらには、先に就職した先輩が就職先で苦労していることを知り、自分たちが当たり前に受けている教育に疑問を持つことになる。

藤田「その先輩は自分よりも一生懸命大学で勉強してたのに、会社ではそれが通用しないっていうのは、教育そのものが実践的じゃないんじゃないかと。そこで、社会にでても使える実践的な経験ができる場所を作りたいと思って、知り合いと一緒に起業しました。」

学生時代に起業したものの、学生からサービス料を受け取るモデルだった事業は行き詰まり、1年で廃業することになる。そこで、次は企業からスポンサーをしてもらえるモデルを作ろうと、2人の友人と再起をはかる中で、一つのターニングポイントが生まれる。

藤田「3人で集まれる拠点が欲しいと思って、知人の紹介で、古民家を活用して運営しているロングルーフというシェアハウスに行ったら、岳さん(水谷)がいて。実は以前も一度ロングルーフに行って、そこで一度岳さんと少し話していたので、再会ですね。僕はこのロングルーフの運営の方に色々教わりながら、シェアハウスの運営を始めました。」

「若者がワチャワチャやってるのをいろんな大家さんが応援してくれた」

藤田「僕がその当時の仲間と一緒にシェアハウスの運営を始めた時、ロングルーフを運営していた人からシェアハウスの運営方法を色々教えてもらいました。というか、教えてもらったことをほぼそのままやっていた感じですね。」

そうは言いながらも、実際のシェアハウスの運営は簡単なものではない。藤田以外にも何人もの若者がロングルーフのやり方を学んでシェアハウスを運営しようとしたが、集客、改装、大家との交渉などをきちんと自力で遂行できる人間はほとんどいなかったそうだ。

水谷「僕も庭師や飲食店なんかの仕事をしながら、ロングルーフや藤田のシェアハウスの手伝いをしてました。そんな時、ロングルーフの運営者が、北海道に行くことになって、ロングルーフだけじゃなくって、コミュニティみたいになっていたいくつかのシェアハウスの面倒を誰が見るんだという話になって。僕もサポートはできるもののそこにガッツリは関わる余裕はなかったんで、運営者とは『ここは恭兵(藤田)に任せるしかないね』という話になりました。」

行動力や企画力を買われて、多くのシェアハウスの面倒を見ることになった藤田。地域住民との関係を築きながら着実に運営していくうちに、その活動を応援してくれる大家さんが増えていったという。

藤田「空き家になっていた古民家を借りて、改装してシェアハウスとして運営するというのを何件かやっていくうちに、大家さんだけじゃなくて地域のお年寄りとの繋がりが増えていきました。ご近所の家の何かが台風で壊れたら直してあげるとか、おじいちゃんの家のお風呂が壊れたらシェアハウスのお風呂を使ってもらうとか。そのうちに、家賃(物件の賃料)3万円を大家さんに払いにいったら何故か商品券を5万円分もらうことがあったりして、不思議なことが起きてきたなと。」

水谷「その当時僕たちが借りていた物件というのはいわゆる収益物件じゃなくて、借り手が見つからない空き家な訳です。大家さんとしても、どうしても誰かに借りて欲しい訳じゃない。大家さんから、「君たち、こういう空き家みたいなのを使って、なんか面白いことやってるんだろ?良かったら使うか?」みたいなお声がけをもらうようになっていたんです。若者がワチャワチャやってるのを見て、地域の大家さんが応援してくれた感じですかね。」

ビジネスライクにシェアハウスを運営するのではなく、地域と溶け合いながら自分たちのやりたいことをやることで、地域の一員として受け入れられ、応援してもらうことができる。二人の中には、まだ言語化できないものの、ここから何かが生まれそうな予感がしていた。

水谷「そんな時に、奥三河の企業実践者を集めるプロジェクトに応募したら、受かっちゃったんですよね。1年間、三河に行って古民家のシェアハウスを立ち上げることになりました。行政案件を引き受ける上で法人格が必要ということになって、On-Coを立ち上げました。でも、何をやる会社って決まってた訳じゃないから、正直ピンときてなかった。」

戦略や理想から逆算するのではなく、手を動かしながら、体を動かしながら、誰かと笑い合いながら、まだ社会にない何かを生み出すOn-Coは、それ自体もまた手探りの中で産まれたのであった。

「不動産は経済合理性だけのもんだっけ?」

水谷「2019年にOn-Coが法人として立ち上がり、最初に注目を集めたプロジェクトは『さかさま不動産』のクラウドファンディングでした。さかさま不動産は、何かやりたいことがあってそのために物件が欲しい人が、どんな物件を求めているかを掲載するWebサイトです。物件を借りたい人が、自分が借りたい物件を探すんじゃなくて、物件の持ち主が、『この人に、自分の物件を使って欲しいな、自分の地域に来て欲しいな』と思った人と繋がれるサービスです。」

「貸し手が物件情報を公開して、借り手を探す」のが今までの不動産の常識だとしたら、「借り手が自分の夢や目標を公開して、貸し手は応援したい人を探す」のがさかさま不動産の提案した新しいモデルだ。

藤田「原体験として、僕たちがシェアハウスを運営していた時に感じた、大家さんから応援される感覚。あれってそんなに珍しいものじゃない気がしたんです。不動産で収益上げたい人もいるけど、『誰かいい人に使って欲しいな』くらいに考えてる大家さんも多いんですよね。だから、応援したい人と出会えないという問題を解決できればいいんじゃないかと。」

水谷「もっと突っ込むと、不動産の使い方が経済合理性だけで決められていいのかって疑問があるんです。たとえば名古屋駅の周辺は不動産の価値が高いけど、それはそこに多くの人が集まるから価値が高いんですよね。それなのに、その価値の高い土地をどう使うかは、土地の持ち主が自由に決められるってのは、なんか変じゃないかと。貨幣による売買という経済合理性だけじゃなくて、そこをどう使うかをみんなで決める社会的合理性を考える余地もあるはずだと思うんです。」

そんな思いで、さかさま不動産のWEBサイトの立ち上げ費用などを集めようと企画したクラウドファンディングは、一般的にクラウドファンディングで用意される事前予約商品やサービスを受ける権利といったわかりやすいリターンがないにも関わらず、283万円を集める大成功を収める。

水谷「この成功で僕が理解したのは、『熱量と仮説の重要性』ですね。どうしてもやり遂げたいっていう強い思いと、『社会がもっとこうだったらいいって、みんな何となく思ってる』という的確な仮説があれば、それを応援してもらって資金を調達したり、色々な協力が得られたりする。さかさま不動産はその典型的な例だけど、On-Coが今やっているのは本質的には、どうしても世の中をこうしたいって思えるテーマを見つけて、それに対して強力な仮説を見つけて、新しい価値を創ろうと試行錯誤する営みだと思う。」

藤田「今までの常識にとらわれずに、『僕たちはどんな社会を求めているのか』を問い続けたいなと思いますね。さかさま不動産は、叶えたい夢があっても、資金や機会に恵まれない人たちと、不動産はあるけど、せっかくなら誰かを応援する気持ちで物件を貸したい人を繋げた訳だけど、本質的には『そういう社会の方がいい』って多くの人が思ってくれたから、クラファンは成功したんだと思います。でも不動産の領域だけじゃ不十分で、もっといい社会を作るためには、もっといろんな領域で常識を塗り替えていく必要がありますよね。」

さかさま不動産は成長を続け、なんと国土交通省主催の「まちづくりアワード」で特別賞を受賞するなど、「空き家活用」の事例として紹介されている。しかし、二人が見ていたのは「空き家活用」ではなく、夢を持った人と、応援したい大家さんを繋ぐことで、夢を叶える人が増えて地域が活性化していき、そのプロセスで空き家が活用「される」というものだった。空き家活用はあくまで手段、社会を良くすることが1番の目的だという二人の考え方は、社会課題解決が声高に叫ばれる現代の福音にはならないだろうか。

「誰かが熱量を持って取り組む仮説検証を、応援し合う組織」

水谷「今、On-Coのメンバーは7人います。みんなで一緒に同じことをやるんじゃなくて、基本的にはそれぞれに自分のやりたいことや事業の種があって、それをOn-Coという箱でそれぞれにやっている感じです。一人一人がプロジェクトのディレクションができる一方で特定分野のプロフェッショナルなので、自分のプロジェクトがうまくいかない時には他のメンバーに相談に乗ってもらったり、得意分野を手伝ってもらえる、そんな組織です。」

最近はティール型組織だとか自律分散型組織だとか、今までのピラミッド型組織とは異なる組織形態が話題に上がることが多い。しかし、そのなかでもOn-Coの組織はとりわけ複雑だ。なにせ、メンバー一人一人が自分でひとつの事業を担当するような、極めて自律性が高い組織なのだ。

水谷「みんながみんな、違うことをやっている。儲かる事業も、そうじゃない事業もある。でも、事業部制とか独立採算とかじゃなくてフラットで、ちゃんと給料制なんです。成果報酬だとフリーランスのチームと変わらないですよね。それに新しいことってのは当然のことながらうまくいくかどうかわからないので、セーフティネットがないと挑戦できないので、会社としては給料を払ったり必要な費用を経費として賄うということは大事だと思っています。」

一人一人が独立していたとしても、支え合う仲間がいないと不確実性の高いチャレンジはできない。新しい価値を創造するにはリスクテイクが不可欠だからこそ、みんなで認め合ったプロジェクトの実現を組織で応援するということに、全メンバーが合意している。

水谷「たとえば今恭兵が鶏を飼ってるんですよ。名古屋コーチンの培養肉を作って、名古屋コーチンを気軽に食べられるようにしようというアイディアから始まりましたが、この先どうなるのかまだ全然わからない。でも、みんなで恭兵が鶏を飼うことを認めたので、鶏の餌代は経費にしたいんですよ。どんな画家だって、毎回名画が描けるわけじゃないけど、でも絵の具代がなかったら絵が描けないじゃないですか。名画を描くことをみんな目指しているから、生活費と絵の具代はOn-Coの経費として認めているというか。」

事業化できるかはわからない、むしろ事業化が答えかどうかもわからない。ただ、このテーマに取り組んでみたいと思った時に、メンバーの合意のもとに、必要な費用は会社で負担する。挑戦を支援するというのはある種の社会的なトレンドだ。「インキュベーション」といった言葉もよく多用されるが、On-Coもその考え方なのだろうか。

藤田「挑戦できる環境があったらいいのか、挑戦意欲のある人材が育ったらそれでいいのかというと、ちょっと違うと思っています。まず、高い熱量がないと、その人に関わる周りの人は楽しくないんですよ。周りも一緒に楽しみながら挑戦するから、新しいものが生まれる。それが社会に広がると、社会が変わっていく、そんなイメージがありますね。」

藤田「自分は結構、まだ世の中にないことをやるのに熱量が出ますね。なにかアイディアを思いついて、似たようなことをやってる人がいないか、まずはネットで調べる。あるいはその筋に詳しい人に話を聞いてみる。それで『まだ誰もやってなさそうだぞ』となるとだんだん熱量が上がってくるというか。上手くいくかいかないかとか、儲かるかどうかより、『まだこの世の中になさそう』って感覚が大事かなと。」

まだ誰もやっていないということは、先行事例もヒントもないということだ。真っ暗のトンネルを、ロウソクの火すらなく、手探りで進み続けるようなもの。その見通しのなさを、彼らは不安に思わないのだろうか。

水谷「新規事業の相談とか受けると、ビジネスモデルの話によくなるけど、そんなもの最初からなくてもいいというか、最初からそれを考えたら面白いことは考えられないですよね。今やっているアクションに経済合理性がなかったとしても、やりたいならまずはやってみる。やりながら小さく仮説検証を繰り返す。それでいいと思うんです。とかいって、1年後は全然違うこと言ってるかもしれないけど(笑)それくらい柔軟でいいと思ってます。」

常識にとらわれず、成功確率など気にせず、ただ「もっと世の中が良くなりそうだ」と思える仮説を握り締め、高い熱量で検証という名の挑戦を繰り返す。その姿を見た常識人は、彼らを「狂っている」と評するかもしれない。しかし、この世の中に「まだなさそう」な新しい価値を生み出すには、狂うことが必要なのだ。この国にはイノベーションが必要だというのは、もう聞き飽きた言説だ。多くのビジネスパーソンが先行事例やヒントや事業計画書を握り締めている今この瞬間も、On-Coは社会を変える新しい価値を探して「狂創」に挑み続ける。

水谷岳史

1988年生まれ、三重県出身。

株式会社On-Co代表取締役。

藤田恭兵

1992年年生まれ、愛知県出身。

株式会社On-Co共同創業者

株式会社On-Co

所在地愛知県名古屋市西区新道1丁目13−15 昭和ビル 2階 madanasaso
HPhttps://on-co.jp
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撮影場所:madanasaso

HP:https://on-co.jp/

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