名古屋を代表する偉人に、天下統一を成し遂げた武将・豊臣秀吉がいる。彼は墨俣城を一夜で築いたという伝説があったり(この逸話には裏付けとなる資料はない)、織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の際には岡山から京都までを10日で帰還し光秀を討つなど、周囲を驚かすエピソードは枚挙にいとまがない。その秀吉と同じ誕生日に生まれて、「食べた人を驚かす」ガトーショコラを引っ提げて名古屋に新しい風を吹かそうとしているのが、スイーツブランド「THE」のブランドオーナー・澤田明男だ。「名古屋の新名物を作る」ことを目指して突き進む澤田の思いに迫った。
『勉強はできなかったけど、人を喜ばせることは子供の頃から好きでした』
澤田「母方の祖父母が商売をしていました。祖父は煮干し・鰹節屋さん、祖母は駄菓子屋さん。戦後の焼け野原の中で、人々の笑顔がなくなったのを見た祖父母は、”出汁は大人の心に安心を与えられる”、”駄菓子は子供達に笑顔を与えられる”と、商売を始めたそうです。でも奉仕の心が強すぎて、商売はあまり上手くなかったらしく、生活は苦しかった。その反動で自分の母は堅実派。両親とも公務員で、子供の頃は習い事とかにもたくさん通わされました」
祖父母の「誰かを喜ばせたい」という想いと、「それだけでは生活は成り立たない、経済的な成功も大切」という両親の想い。その二つを受け継ぎながら澤田少年は育った。
澤田「両親が共働きだったので、学校から帰っても大人がいない。祖父母の世話にもなっていましたが、家族の食事は僕が作ることが多かったですね。」
二つ上の兄と、三つ下の妹の3人兄弟。兄と妹は学業優秀で、自分はそうではない分、家族を喜ばせることが好きだったという。
澤田「でも中学校くらいになると、テストの順位とかが発表されますよね。あれが嫌で、だんだん自尊心がさがっていき、たまに学校をサボるようになりました。中学のうちはバスケ部に入っていて、ちょうどスラムダンク世代ですから、すごくのめり込んでいて、打ち込むものがあるからまだ良かった。高校では部活もやらずに、打ち込むものもなく、ちょっとした不良時代です(苦笑)といっても、暴力とかは振るってないですけど、学校をサボりがちになったり、センター試験を受けるはずのお金を他に使っちゃったり。」
そんな調子の澤田が選んだ進路は、幼い頃から人を喜ばせる楽しさを教えてくれた料理と、中学の時代に打ち込んだバスケができる環境だった。
澤田「『新宿調理師専門学校』という専門学校に進みました。理由は、東京への憧れと、自分はやっぱり料理が好きだということと、バスケ部があること。調理師専門学校でバスケ部があるところって少ないんですよ。でもここは1年制の学校で、入学したら秋くらいには就活が始まり、卒業の2〜3ヶ月前には就職先にインターンでバイトが始まる。あっという間の1年でした。」
就職先のインターン期間に、仕事の要領を掴んでしまった澤田は、4月に入社するや否や先輩から仕事を任せられるようになるのだが・・・。
『人を喜ばせるのには、お金や時間や手間じゃなくて、サプライズが大切なんだと』
澤田「頼られるのは嫌いじゃないんですが、その先輩、自分の仕事を僕に押し付けて、自分はサボってたんですよね(笑)それが許せなくって、1ヶ月で辞めてしまいました・・・」
その後も2回の転職を重ねるが、なかなか一つの職場に定着することができず、社会人4年目のある時だった。
澤田「調理師学校時代の同級生が、名古屋の『サルバトーレ・クオモ』で働かないか、と声をかけてくれました。その当時はまだ少なかったオープンキッチンのスタイルのお店です。お客様とコミュニケーションを取りながら、自分の調理過程を見てもらえるというのは新鮮で、お客様が喜んでくれているのがダイレクトにわかるので、楽しかった。ようやく自分に合った場所を見つけたという感じで、サルバトーレ・クオモでは約10年働きました。」
ようやく自分の居場所を見つけた澤田が、この時代に得た気づきは、その後の澤田の取り組みに大きな影響を与える。
澤田「ある日、彼女の誕生日を祝うためにご来店されたカップルがいました。僕はその時、バースデープレートにサプライズでチョコレートアートを施すのにハマっていまして、ホールのスタッフにお願いして、接客の中で彼女さんの好きなキャラクターとか、そういったものをヒアリングしてもらって、それをプレートに描いてお出ししたんです。その時の女性の喜び方が忘れられなくて。その日お出ししした料理は10時間以上煮込んだ煮込み料理なのに、それよりもバースデープレートの方が喜ばれました。『そうか、人を喜ばせるには手間や時間やお金をかけるだけじゃなくて、その人を驚かせることも大切なんだ』と。これに気づいて、一層チョコレートアートにのめり込みましたね。」
自分の創意工夫によってお客様を喜ばせることの楽しさに魅入られた澤田は、チョコレートアートの道を突き進むも、職業的な現実が立ちはだかる。
澤田「チョコレートアートに力を入れる一方で、お店としてはそれはメニューにあるわけではなく、いってみればオマケのサービス。それに時間をかけたいと思ったら、休憩時間とかに頑張るしかない。突き詰めることの限界を感じ始めて、『だったら、チョコレートアートを本業にしちゃえばいいんじゃないか』と思いまして。」
そうして、10年勤めたお店を辞めて独立し、「チョコレートアーティスト」澤田明男が誕生する。
澤田「事業の内容はシンプルで、自分で購入したお皿に、お客様にご要望いただいたチョコレートアートを描いて、梱包して冷蔵便で送ります。独立したばかりの時はアルバイトをしながらやっていましたが、徐々にファンのお客様も増えてきて、着実に売り上げも増えていきました。」
チョコレートアートという新しいジャンルを一人で確立し、事業化に成功した澤田に思わぬ危機が訪れる。コロナ禍だ。
『食べた瞬間の驚きが大切だから、あえて見た目は普通に』
澤田「僕のサービスは、誰かと一緒にお祝いをする席にサプライズを添えるものでした。しかしコロナ禍によってみんなが集まる場所がなくなり、そうすると依頼もぴたりと止まりました。コロナ禍が長期化しそうだと感じたことと、もう一つ、チョコレートアートはお客様の依頼で作っていたので、『はたして本当の意味でサプライズになっているのか?』と自問し始めた時期でもあったので、思い切って業態を変えることを決めました。」
せっかく軌道に乗ったチョコレートアート事業を手放し、澤田が次に目をつけたのが「ガトー・ショコラ」だった。
澤田「チョコレートアートをやっていたときに、何かのイベントで、僕が施したチョコレートアートのプレートに、他の方のテリーヌショコラを乗せてお出しする、という企画があったんですね。そのときのテリーヌショコラがすごく美味しくて、『自分でもこんなチョコレートケーキを作ってみたいな』と強く思ったんです。コロナ禍で事業転換しなきゃいけなくなったときに、ふとそれを思い出して、『そうだ、今こそあのときのテリーヌショコラのようなお菓子を作ろう』と思いました。」
自分を魅了したお菓子を、自分でも作ってみたい。いくつかの現実的な制約を考慮しながら、澤田はガトーショコラを新しい商品に選んだ。しかし、ビジネスパートナーからは思いもよらない指摘を受ける。
澤田「そのとき一緒にブランディングなどを考えてくれていた人からは、『コロナ禍だから、販路はネットがいいと思うが、ガトーショコラは見た目がどれも一緒。今の時代にオンラインで売るなら、インスタ映えとか、見た目にインパクトがないと厳しい。ガトーショコラは見た目のインパクトが出しにくいからやめたほうがいい』と言われました。でも、実は自分はインスタ映えとかあんまり好きじゃないんです。だって、見た目はすごいけど、食べてみてさらに驚きを感じるものって少ないでしょう?僕はサプライズ至上主義なので、見た目は普通でも、食べたらびっくり!みたいなことがやりたかったので、その忠告は聞き入れませんでした(笑)」
売れやすいものを作るのではなく、相手を驚かすものを作りたい。コロナ禍という危機的状況においても、澤田の信条はブレることがなかった。そうして生まれたのが、「常識を覆すガトーショコラ」だ。
澤田「研究に研究を重ねてできた今のガトーショコラは、見た目は至極普通ですが、食べた瞬間の口溶けなど、体験での驚きにこだわっています。それを試食したビジネスパートナーが、『これは、ガトーショコラの常識を覆すね・・・』と一言つぶやいたことから、それをコンセプトにしました。あまりあれこれ説明するよりも、まずは食べてみていただきたい、食べていただいたらわかると思って。」
そうして生まれた「あなたの常識を覆すガトーショコラ」はオンライン販売をスタートする。そして、澤田がそれまで積み上げてきた信頼をもとに、最初は知人を中心に販売直後から注文が殺到する。まずは上々の立ち上がりだ。
澤田「実は僕、SNSがもともと好きで、インスタグラムをずっと更新していました。ガトーショコラが出来上がる過程とかもインスタで随時投稿していたんです。そしたら、それをみたとある方が僕のことをずっと注目くれていて、その人からお話をいただいたのが、『THE』の知名度を一気に上げることになる『マツコの知らない世界』への出演です。」
とある女性とは、チョコレートケーキを年間700個食べる女性・佐藤ひと美さん。インスタで澤田を見つけて、そのガトーショコラを気にしており、実物を一口食べて衝撃を受け、「これを『マツコの知らない世界』で紹介してもいいですか?」と連絡が来たのだ。
澤田「正直驚きました。だって、ガトーショコラを売り始めてまだ1ヶ月経つか経たないかのときでしたから。そして実際にテレビで放送されて、注文が殺到し、まだ始めたばかりの『THE』というブランドの知名度が一気に上がりました。人生、何が起きるかわからないですね。」
全国的に知名度を上げた「THE」のガトーショコラは売れ行きも好調。そのときに澤田がとった行動は、意外なものだった。
澤田「初めてのオンライン販売がうまく行ったのはよかったんですが、一つの不安がありました。『サルバトーレ・クオモ』での仕事が長続きしたのは、お客様と触れ合いながらものを作る楽しさがあったからです。オンラインでは、お客様の生の感想を聞けないので、自分がやっていることが正解なのか手応えがない。そこで、4坪の小さな店を作って、商品の直接お渡しができるようにしました。そこでお客様と実際に言葉を交わして、自分のやっていることがお客様の満足とずれていないかを確認するようにしました。」
こうして、オンラインと実店舗の両方を使って販売と顧客コミュニケーションを重ねるという「THE」の基本的なビジネスモデルが出来上がっていった。
『ずっと”予約から半年待ち”のガトーショコラにしたいわけじゃないんです』
澤田「そんな折にお話をいただいたのが、東京進出へのお誘いです。いきなり『マツコの知らない世界』に出演して知名度が上がり、オンライン注文も常にいっぱいでなかなか手に入らないガトーショコラという状況ができていた。この勢いで東京に進出してはどうか、というお話です。」
もともとは東京への憧れもあって東京の調理師専門学校で学んだ澤田。東京からのオファーをどう受け取ったのか。
澤田「お話自体は嬉しかったものの、正直なお話、自分たちの実力に見合っているのか分からなかった。成長が早すぎるんです。お客様の期待に応え切れるかどうか分からない。でもそのときひとつ思ったのは、オンラインでは『ご用意出来次第のお届け』としていて、お客様が欲しいときに販売できていない。東京に実店舗を持ち、そこでの販売量を増やすことで、今よりも多くのお客様にとって『欲しいときに買える』ブランドになれるかなと思い、出店を決めました。」
ブランド立ち上げから1年半という短期間で東京・自由が丘に実店舗を構えることになった「THE」。澤田の中では一つの実験であり、挑戦でもあったことから、「3年間の期間限定出店」と位置付けることになった。
澤田「ブランドの成長が早すぎて、このブランドをどう育てていけばいいか、自分の中にも分からないことが多かった。物件の契約が3年だったので、まずは3年間はやろうと。しかし、その後については、自分の考えも変わるかもしれないと思ったんです。」
その後、澤田は自由が丘の店舗だけでなく、さまざまな百貨店や商業施設の催事にも出店し、「欲しいときに買える機会」を増やそうと奔走する中で、一つの違和感に気づく。
澤田「別に、ずっと半年待ちのガトーショコラにしたいわけではないんです。本当は、欲しいときに買って食べてもらいたい。そう思って色々なイベントに出ていましたが、それをやっていくと、どんどん自分の時間がなくなって、ガトーショコラ作りや、お客様とのコミュニケーションにかけられる時間が減っていく。これは自分の理想じゃない。本当はもっと、『次はお客様にどんなサプライズを届けようか』と考えたり、企む時間が必要なのに、それができない。今あるものを届けることで精一杯になっている。何かを変えないといけないと感じました。」
悩んだ末に澤田が選んだ道は、自由が丘店の閉店と、名古屋への凱旋だった。
澤田「ちょうど、自由が丘店の物件契約の更新時期が近づいていました。どうしようかと迷ったんですが、そのとき自分の心の中で大きくなっていた思いは二つ。一つは、もっとお客様とのコミュニケーションに時間を使いたい。そしてもう一つは、やはり自分は地元愛が強くて、地元を盛り上げることをしたい。東京のお客様のことも考えるとかなり迷いましたが、活動の範囲を名古屋に限定しようと決意しました。」
こうして、3年間営業した自由が丘の人気店を2024年5月で閉店し、同年7月、名古屋市北区に実店舗を開店することになる。
『このガトーショコラを”名古屋の新名物”にしたい』
澤田「実店舗は名古屋にして、催事も基本的には出店を減らします。将来はオンラインもやめたいと考えている。『そうしたら買いにくくなる』という意見はごもっともです。でも、極論を言えば、本当に『買いやすいこと』が正解なのか。例えば、今はAmazonや楽天でいつでもなんでも買えます。そうすると、誰かからもらったプレゼントでも、『ネットで買ったのかな』とか思っちゃったりして、ありがたみが薄れる感覚ってないですかね?」
たくさん売れればいいだけではない。ガトーショコラを通じてどんな喜びや驚きを提供していくべきなのか。澤田は今、その答えを求めている。
澤田「『THE』は、はじめがコロナ禍だったからこそ、オンライン販売でスタートしました。その後ありがたいことにテレビで紹介されて人気が出て、『なかなか買えないブランド』になりました。でも本当は、価格帯も含めて多くの方にとってはギフトで買っていただく商品だと思っていて、それだと購入時期が選択できないのはよろしくないですよね。それでいうと、名古屋に実店舗が1軒だけあって、そこに来て買うというのが、一番わかりやすい。その分、そこに来てくれたお客様にはちゃんと在庫をご用意しておかなきゃいけないとは思います。」
ブランドの急成長の中でも、この唯一無二のガトーショコラをどう楽しんでもらうか、そのためにはどんな環境を作るべきなのか。澤田の模索は、ある一つの「キーワード」につながった。
澤田「もしかしたら自惚れかもしれませんが、このガトーショコラが本当にいいものであるならば、わざわざガトーショコラを買いに、名古屋に来てくださる方がいると思うんですね。それは、『ガトーショコラが名古屋に人を呼び寄せている』ということじゃないですか。僕はそれを目指したい。このガトーショコラを新しい名古屋の名物にしたいんです。」
「THE」のガトーショコラを「名古屋の新名物」にしたい。この大胆な企みを、澤田自身もまだ明確な形にできてはいない。
澤田「じゃあどうなったらガトーショコラが『名古屋の新名物』になったと言えるのか、具体的な定義みたいなものはまだ分かりません。でも、今みなさんが『名古屋名物』って聞いたときに思い起こすものと、僕のガトーショコラって、全然違うと思うんです。僕のガトーショコラは、要冷凍で、数時間解凍して食べていただく。それをオンラインをやらずに、実店舗だけで販売するとして、果たして名物になりうるのか。自分でも分からないんですが、もしこれが実現したら、それは多くの人にとって相当のサプライズになると思いませんか?」
もともと「常識を覆すガトーショコラ」も、研究と実験を重ねて作り出したものだ。人を喜ばせる、驚かせるものを作るのは簡単ではない。ましてや、より多くの人を驚かせようと思ったら、既成概念や予想の範疇に収まっていては、土台無理な話なのだ。
澤田「どうすれば実現できるのか、今も毎日頭の中でそれを考えています。名古屋の店舗は、名古屋駅から電車だと乗り換えが2回あって、30分くらいかかる、好アクセスとは言えない場所。ここだけで売っている要冷凍のガトーショコラが、『名古屋の新名物』になるにはどうすればいいのか。いいアイディアがあったら、教えてください(笑)」
令和のスイーツ界の豊臣秀吉を持ってしても、この難題を解くのは至難の業のようだ。しかし、とにかくサプライズを常に求める澤田が、今もう一つ考えている企みがあるという。
澤田「名古屋に活動範囲を絞ることで、自分に時間的余裕が生まれたら、自分の原点であるチョコレートアートを復活させたいと思っています。自分はやっぱり、お客様とのコミュニケーションがいちばんのモチベーションになる。一人一人に合わせたチョコレートアートで喜んでいただく、驚いていただくことから得られる着想も多いので。新しい店をオープンしたばかりで、まだまだそこまではできませんが、考えるだけで今からワクワクしますね。」
心のこもったチョコレートアートと、名古屋の新名物のガトーショコラ。この二つをもって「名古屋に澤田あり」と言わしめる日を夢見て、澤田明男の挑戦は続く。